年代
 明治前
 明治時代
 大正〜
  昭和20年終戦
 昭和21年〜
  昭和30年
 昭和31年〜
  昭和40年
 昭和41年〜
  昭和55
 昭和56年〜
  現在
  年     内   容
昭和31年 「備後絣」の文字の商標登録された。
年産二百三十一万反
昭和32年 広島県福山工業試験場創立五十周年記念式典が挙行される。
年産二百九十万反
昭和32年6月 昭和三十一年度過剰綿スフ織機買上処理を実施する。
昭和33年 「備後絣調整組合」は中小企業団体組織法に基き「備後絣工業
組合」移行、認可される。
昭和三十二年度過剰綿スフ織機買上処理を実施する。
中小企業団体組織法に基き織機設置制限規則が制定され合成繊
維用織機等の新設が制限される。
昭和34年 皇太子殿下御成婚記念奉祝「一億円貯蓄」十年間継続積立事業
に着手する。
「備後絣」五反を御結婚のお祝として皇太子・同妃殿下へ献上
した。
昭和三十三年度、三十四年度過剰綿スフ織機買上処理を実施す
るとともに追加「特別買上」処理を行なう。
産地卸商と協調して「備後絣振興会」を結成する。
商品流通の円滑化を図るため東備会(東京)・越備会(新潟)
名備会(名古屋)・福備会(福島)・北備会(北海道)・秋備
会(秋田)を結成する。
年産三百三万反生産額十八億円に達し、製造業者二百五十工場
関係業者壱千工場を えて全国生産量の七〇%に達し名実とも
に「日本一」絣生産地となる。
昭和35年 備後絣三百万反突破記念式典を挙行する。
備後絣中央検査所新築落成
年産三百三十万反
昭和36年 ウール絣研究のため研究員を先進地「浜松」に派遣する
綿絣の減産傾向となる。
備後絣創始者「富田久三郎翁」五十周忌法要を営む
「富田久三郎翁」の業績を讃え翁の胸像(ブロンズ製)を作り室
内に保存する。
年産二百七十万反
昭和37年 備後絣協同組合創立十同年記念式典を挙行する。
年産二百八十万反
昭和38年 年産二百七十万反
昭和39年 従業員確保のための共同宿舎「城見ビル」完成
年産二百十万反
昭和40年 年産二百万反